【特集・おやさま】茶木谷吉信・正代分教会長「諭達拝読のススメ(前編)」
過去の諭達と今回の「諭達第四号」とは何か違う。 その違和感の正体に迫るために、講師の茶木谷さんは過去の諭達と今回の諭達を、あるユニークな方法で比較分析することを思いつく。 浮かび上がってきたキーワードとは?今の旬だからこそ、しっかり深掘りしておきたい諭達拝読のための参考のお話。
過去の諭達と今回の「諭達第四号」とは何か違う。 その違和感の正体に迫るために、講師の茶木谷さんは過去の諭達と今回の諭達を、あるユニークな方法で比較分析することを思いつく。 浮かび上がってきたキーワードとは?今の旬だからこそ、しっかり深掘りしておきたい諭達拝読のための参考のお話。
過去の年祭を振り返りながら、年祭ごとに伸び栄えてきた天理教の歴史を語る。 また、年祭活動に必要なのは、先人たちに負けないくらいの覚悟であり、特におつくしとおたすけについては、教祖のひながたの押さえどころだと熱く語る。
今から10年前の、教祖130年祭の旬に神殿建築を願い出た講師。 その後起こるさまざまな奇跡の連続の中に、ご存命の教祖のお導きを感じ取る。 山あり谷ありの三年千日を、感動とともに語る中に、今回の140年祭をいかに通るかのヒントがある。
入信して10年。ただひたすらに教祖のひながたを追い求め、求道とおたすけに邁進した日々。 おぢば帰りのたびに教祖殿北側の「記念建物」を拝観するのが楽しみと語る。 ご存命の教祖にお会いできるような気がすると語る講師が、この10年でいただいた奇跡の御守護を感激とともに語る。
虐待などで心と身体に傷を負った子どもたち。 発達障がいをかかえながら生きる子どもも少なくない。 実子が5人いる中でさらに4人の里子と暮らす講師が、決して楽ではないドタバタの道中を「これが私のおたすけです」と明るく語る。
「教祖がお入り込み下さる」ということを、いろいろな場面で悟ってきた講師。長年道を通った経験から、いろいろな場面で教祖を近くに感じた体験を、湧き上がる喜びとともに語る。
この年祭の旬に、諭達に示してくださっている〝有り難いなあ〟〝結構やなあ〟〝人たすけたいなあ〟という心を持つことが大切である。 さらに存命の教祖のお働きを目の当たりに見せてくださった体験談を2編。 いずれもすごい奇跡の感動秘話である。
天理教がはっきりと教えてくれている人間の生きる目的、いつどこで何のために創られたか。 その要点を踏まえながら、陽気ぐらしのできる種を皆持っている、と説く講師。その種をいかに引き出し、どう育てるか。自身の体験を交えて語る。
元来、出不精で高慢だと語る講師が、10年前の教祖130年祭三年千日活動で始めたいろいろな取り組み。 心を定めて実行することを繰り返すなかに、奇しくもご縁をいただいた人たちが頂戴する数々の御守護の姿に、ご存命の教祖のお導きを見る。
里子として預かる子どもたちの中には、実親がいても実親と暮らすことが解決につながらないケースが数多く存在する。そんな時、里親は驚きや困惑、迷いの中で戸惑うことも多い。しかし、一番に考えるのは子どもの幸せであり、たすかりである。講師は一つでも多くの幸せな記憶を刻み込み、何かの節におぢばを思い出して欲しい、と説く。
教祖はいつでも私たちの近くでお見守りくださっている。 温かい親心はいつも身近にある。 そして私たちの歩む道を〝よしよし〟と労ってくださっている。 自らのこれまでの年祭活動を通じて培った体験を語りながら、さあ、140年祭へと背中を押して下さるお話。
教祖の年祭をつとめる意義を、明治20年の息詰まる人間と神との問答に求める講師。 おさしづを通して年祭の元一日からストレートに学ぶ講師の姿勢から、改めて年祭活動とは?教祖のひながたとは?と、聞く者すべてが自問せざるを得ない。 年祭活動を真正面から説く、ど直球のお話し。