【特集・おやさま】入江和徳・本理世大教会長「教祖の親心を身近に」
教祖はいつでも私たちの近くでお見守りくださっている。 温かい親心はいつも身近にある。 そして私たちの歩む道を〝よしよし〟と労ってくださっている。 自らのこれまでの年祭活動を通じて培った体験を語りながら、さあ、140年祭へと背中を押して下さるお話。
教祖はいつでも私たちの近くでお見守りくださっている。 温かい親心はいつも身近にある。 そして私たちの歩む道を〝よしよし〟と労ってくださっている。 自らのこれまでの年祭活動を通じて培った体験を語りながら、さあ、140年祭へと背中を押して下さるお話。
教祖の年祭をつとめる意義を、明治20年の息詰まる人間と神との問答に求める講師。 おさしづを通して年祭の元一日からストレートに学ぶ講師の姿勢から、改めて年祭活動とは?教祖のひながたとは?と、聞く者すべてが自問せざるを得ない。 年祭活動を真正面から説く、ど直球のお話し。
教祖には我が身思案がない。 いつも人のことを優先してお考えになっている。 そういう教祖に近づきたい。 そう念願し、自らの行動を振り返る講師。常に変わらぬ誠の心をもとめて、ぞっこん教祖に憧れ続ける講師が、逸話や口伝にこもる教祖の親心を説く。
いまや全国的に知られるようになった「天理教災害救援ひのきしん隊」の活動。 29年間、その活動に携わった経験を持つ講師が、被災者をはじめ行政関係者、社会福祉協議会関係者などとの交流を通して感じる教えの素晴らしさを、実体験を交えて力説する。
学校を休ませて子どもに月次祭をつとめさせていた講師。 祭典中もじっとせず、やんちゃで困っていたその子どもが、初めて参拝したご婦人に思いがけない行動をとった。 不自由なきようにしてやろう、神の心にもたれ付け、と仰せ下さる親神様の思し召し。 140年祭活動にたすけ心を呼び起こし、教祖に続けと説く。
教祖のひながたを4つの区分に分けて考えることで、教祖がお伝えくださった大切なものが見えてくる。 そしてそれは私たちの成人の段階であり、陽気世界実現への道筋でもある、と力強く説く。
教祖の絵本を描く御用をいただいた講師。 しかし締め切りが間近に迫る中、 突然の発熱に襲われる。絶体絶命のピンチから立ち直る奇跡の回復のご守護と、その後、なおも続く信じられない奇跡の数々を赤裸々に語る。
どうしてもおさづけが取り次げない意気地のない自分。 「そうだ。教祖にお出ましいただこう」雨の中、おたすけ先の病院へ、見えない教祖のお供をして向かう講師。教祖を慕う一途な信念が呼び起こす奇跡と感動の体験談を語る
教祖にお逢いしたと感じた二つの貴重な体験。 たいへんなふしをいただいても、ご存命の教祖のお働きはおたすけの中に起こってくる、と豊富な体験をもとに信念を持って語りかける。
ひながたをたどるとはどういうことか。それは親の思いがわかり、それを我が心として通るように成人することである。そしてそのたどり方は、ちゃんと坐りづとめの地歌に書き残して下されている。 そう説き明かす講師が、みかぐらうたの第一節~第三節を手がかりに、ひながたをたどる意味について詳しく述べる